12月4日、「花房秀次先生 お別れの会」が行なわれました。
2016年12月11日
去る12月4日、東京・西新宿「京王プラザホテル エミネンスホール」にて、「花房秀次先生 お別れの会」(主催:医療法人財団荻窪病院 後援:むさしの会 ヘモフィリア友の会全国ネットワーク 東京HIV診療ネットワーク 東京ヘモフィリアネットワーク)が行なわれ、700名近い多くの方々が参列されました。花房先生御自身が当日のために予め用意されていた「お別れの挨拶」と、福武勝幸先生(東京医科大学 医学部医学科 臨床検査医学分野 主任教授)が会場で読み上げられた「お別れのことば」を御紹介します。
お別れの挨拶
花房 秀次
この度は私の葬儀に御出席いただきありがとうございます。亡くなった本人が挨拶を申し上げるのは極めて異例のことと思いますが、本日ご出席頂きました皆様は私との関係が深い方々と思います。通常であれば、宗教的儀式によって見送られていくのでしょうが、私は医学を通じた科学者の一人として自ら皆様にお別れの挨拶を申し上げたいと思います。そして家族とともに皆様にお別れをしたいなと希望しました。人はだれでも死にます。寿命を長くする研究には大変興味がありますが、死ななくなれば生きている価値もなくなります。死を避けられないからこそ、生が輝いています。私の死を悲しむのではなく、「いい人生だったね」と送り出してほしいと願っています。61歳で死を迎えてさぞかし無念だろうとか、泣いて残念がるようなことはしないように家族に話しています。
私は1987年に荻窪病院に赴任してエイズの診療に取り組んできました。凄まじい死を経験し、死について多くの患者さんたちと語り合ってきました。まさか自分が生きている間にエイズが治療できるようになるとは思いませんでした。今では完治を目指した治療も研究されています。さらにC型肝炎の治療も2015年に完成され、ほとんどの患者さんのウィルスを消失することに成功しました。さらに血友病の医療もこの数年で急速に進歩し、出血を予防できるようになりました。この数年で多くの国際共同治験に参加し、多くの海外の医療関係者と話し合い、世界の血友病医療の発展に貢献できたことは大変嬉しく思います。私は自分の人生でやりきった感を得られて大変幸せです。当然もっと生きられたらもっと多くのことを達成できたかもしれませんが、絶頂期に引退する選手の気持ちのようでもあります。
私は高校生のころから宇宙の始まりや生命の誕生に興味があり、多くの資料を読んできました。ビッグバンに始まり(正確にはもう少し前)、水素やヘリウムが広がり、惑星の衝突によって次第に大きな元素が誕生し、有機物の発生後生命が誕生したと考えられています。まだ不明のことも多いようですが、死後は元素に帰るかなと思います。しかし、科学者のはしくれとして100%絶対ということも難しいとも考えています。もしも死後の世界があるのであれば、残された家族のことを守り続けたいと思いますし、家族の心の中で常に支えになりたいとも願っています。自分でも困った時の神頼みや、先に亡くなった両親などに何度もお願いしたこともありました。そこで未練がましくも遺骨の一部は加工して家族に持っていてもらうつもりです。
無宗教でのお別れを選択しましたが、宗教を否定するわけではございません。むしろ宗教を持ち死後の極楽社会や来世の絶対的幸福を信じることができれば死の受容がどれだけ楽になることかと思います。医師として、かつてのエイズのような致死的病気の最期で、無宗教者の多くの方々は自身の死の受容に悩まれることが多いことも経験しています。一方で、我が国では今後無宗教者が増えると思います。そこで本来の宗教の在り方を是非とも多くの方々と話す機会を増やし、受け入れてもらうためには過去のしきたりにしがみつくのではなく、現在を生きる人々に受け入れてもらえるように宗教儀式のありかを変える必要があると思います。私は自分の家族に儀礼的な負担はかけたくないと思います。墓に関しても、まだ見もしない孫たちに負担はかけたくないと思うのは多くの方々の共通認識になってきているのではないでしょうか。
ヒトとして誕生し、良い時代を生きることができ、自分の人生を考え、幸せだったと思いながら死んで、元素に戻り、それを利用して新たな生命が誕生する。自分の家族の幸せや繁栄を願うが、自分の死について自分の考えを受け止めてほしい。子供たちに恵まれとても幸せな時間をともにいっぱい過ごせた。妻や子供たちとの生活は仕事の支えでもあった。玲奈が生まれたときの喜び、優衣が生まれてからの二人のやり取り、真也が生まれたときの思い、仕事よりも3人の成長を頻回に見に行った時の感動、いっぱいいっぱい幸せな時間を過ごさせてくれたことに感謝する。皆様どうかよい人生を送ってください。
お別れのことば
花房先生、こんにちは。福武です。
常に前向きで積極的な花房先生のご希望に沿って、福武からは、これまでに何度も先生と語り合った、前向きに、明るく、そして建設的に将来を考えていく話しの続きを、報告を兼ねてさせていただきます。
先生が腰を痛められたと聞いていた頃、急ぎの相談があるとのご連絡をいただき、急遽、新宿でお会いしましたが、いきなりご自身の病状の説明をされ、そして、荻窪病院へ通う患者さんに心配や迷惑をかけないように、診療のことを私と東京医大に頼みたいと切り出された時は、本当に驚きました。
花房先生と私は小児科医と内科医という違いはありますが、お互いに血液凝固異常とHIV感染症という同じ領域の診療を長年続けていて、スタッフもコメディカルを含めて、交流させていただいてきましたので、突飛な内容ではなかったのですが、専門医が足りない領域ですので、さすがに困りました。
あのとき、私からは、花房先生自身はこれから何をしたいのか、と質問しましたが、返事は「もっと仕事がしたい。やりたい仕事がたくさんある。まだ、しばらくは続けられると思う。」でした。私はさらに、個人的にやりたいことはないのかと聞きましたが、「とにかく自分はできる限り仕事がしたい。」というお返事でしたので、その席で、診療のサポートとしての非常勤医をまず派遣し、常勤医の派遣を見据えて調整することをお約束しました。
そして、先日、花房先生へもお伝えできた様に、来年二月一日から先生の後任となる常勤医として、当科の鈴木隆史准教授を派遣することにしました。東京医大のスタッフ一同はこれにより、荻窪病院の患者さんに、先ず安心していただけるよう願っています。
花房先生は医療面でも社会面でも積極的な姿勢で多くの業績をあげていますが、花房先生といっしょに平成十七年に立ち上げた、東京ヘモフィリアネットワークはその一つです。今では、東京近郊の血友病医療の関係者が毎年八十名以上参加する研修会になっています。今年の、九月十七日に行なった第十二回の研修会で、花房先生の1時間に渡る講義に、参加者が感銘を受けたのは、ついこの間のことでした。本会は、既に来年の活動予定を決めて準備に入っています。
荻窪病院の血液科と東京医大の臨床検査医学科は、今まで以上に協力関係を深めて、両者のよい点そして、伝統を生かしながら、それぞれの立場で診療活動を続けていきたいと考えています。
この様な話しをしていると、花房先生が「あのー、ちょっとーいいですか…… 」と手を上げて出てきそうな気がしますが、これからは、当科から異動する鈴木先生をはじめ、花房先生の活動を引き継ぐ若手の活躍を見守っていただきたいと思います。
ありがとうございました。
平成二八年一二月四日
東京医科大学 医学部医学科
臨床検査医学分野
主任教授 福武 勝幸