みる・きく・よむ

バーチャル・ヘモフィリアシンポジウム 2022

9月4日(日)、バーチャル・ヘモフィリアシンポジウム2022がオンライン配信(Zoom Webinar 形式)で行なわれ、患者、家族、医療者、メーカーなど120名以上の参加をいただき、盛会のうちに終了しました。当日は、第一部で十代から三十代にかけての若手患者五名が率直に自らの想いを語り、第二部では少し上の世代にあたる三名のピアドクター[1]自らも患者である医療者のことが加わり、話を深めました。

世代によって治療環境、社会環境は大きく異なり、また、個々人の条件によっても状況は変わっています。共通する部分、かけ離れた部分、様々な観点から興味深いやりとりが展開されました。

今回は、出席者の中に未成年の方、ネット上では匿名を希望する方がいらっしゃったので、事後のアーカイブ公開は行ないません。しかしながら、特に三名のピアドクターによるお話は他には類のない内容と思われ、多くの方に共有していただきたいと感じました。そこで、三名――鈴木伸明先生、細貝亮介先生、近澤悠志先生――の快い同意に基づき、ピアドクターの発言部分のみを公開します(テープ起こしに加筆修正が行なわれています)。ぜひ、多くの方に読んでいただきたいと思います。

オンライン配信は気軽にアクセスが可能という利点もありますが、やはり対面での交流が出来ないという物足りなさがあります。covid-19もようやく収束へ向かう気配も見えはじめており、来年には皆さんと直接お会いできる機会を設けたいと思います。 

注[1]:ピアドクターとは自らも患者である医療者のこと


ピアドクターのお話

【発言順】

近澤悠志 先生(東京医科大学臨床検査医学科)
鈴木伸明 先生(名古屋大学輸血部・血液内科)
細貝亮介 先生(新潟大学小児科)

 

私と血友病

進行

 先生方にとって、生活の制約や制限が具体的にあればお聞かせ下さい。 

近澤

 私は今39歳で 、東京医科大学で働いておりますけれども、出身は高知県の吾川郡伊野町というかなり奥のほうでして、かかっていたのが高知大学、当時は高知医大の小児科でしたが、他の患者さんと出会う機会も、大学に入るまではなかなかありませんでした。とにかく〝あれをするな、これをするな〟と言われることが多かった記憶があります。特に、小学校の時の体育で、たとえば縄跳びでは、〝土の上ではいいけれど、コンクリートの上では絶対やるな〟とか言われて、果たしてそれはどうすればいいのか。〝サッカーはやってもいいけど、ヘディングはするな〟と。いや、じゃあ飛んできたボールはどうするのかな? そういう指示をいただいても、日常生活でなかなか生きてこないなということを日々感じながら生活していました。


 最初は、後頭部を打ってなかなか血腫が引かないということをきっかけに血友病と診断されたんですが、それ以外には小児期に大きな出血は幸いなくて、成人になってからのエピソードとしては、医師国家試験が終った時に、かなりお酒を飲み過ぎて、そこで消化管出血をしてしまったということが人生の中で一番大きな出血イベントでした(笑)。社会人になって、生活を改めて、臨床を15年やっていますけれども、そこでは制約がないというところで暮らせています。

鈴木

 私は48歳のいわゆる「団塊ジュニア」の世代ですが、この世代は幼少期に濃縮製剤がちょうど出たのですが、まだふんだんに使うという時代ではありませんでした。私はほとんど重症に近い中等症です、小学校に入学する時は足関節の調子が悪く、松葉杖での生活でした。学校生活では先生にオンブしてもらったり友達に杖を持ってもらったりして、とても迷惑をかけました。当時の医師の指導はいかに出血をさせないように日常生活を送るかという点が焦点で、階段は〝お尻をついて上り下りをしなさい〟〝体育は水泳以外は見学しなさい〟というような、かなり制限を受けた生活でした。
 薬害エイズの問題が起きてからは、世間の偏見にもさらされました。血友病であることを言うこと自体が憚られる時代で、世の中に対して後ろめたい気持ちで生活していました。また、実際に薬害のために肝炎やHIVで亡くなった人がたくさん居ます。今も肝硬変で苦しんでいる人は多く居ます。それを考えると、自分がこうやって元気に暮らせているというのは本当にありがたいことです。我々「団塊ジュニア」はただでも厳しい世代として知られていますが、そこに血友病であることが加わって、就職や結婚を望んでも、かなわなかった方たちがたくさん居ます。そういう観点からみると、今の若い人たちとは、病気に対する意識や思いは、全然違うだろうなと思います。


 私が中学校の時、今働いている名大病院で主治医だった高松(純樹)教授からは、「血友病患者は普通の大学に行っても就職は出来ないよ。よほど頑張って専門職あるいは他の人にはやれない仕事をやらない限りは」とハッキリ言われました。今の時代では考えられない厳しい言葉でしたが、自分なりに歯を食いしばって頑張りました。そういう苦しい思い出が、幼少期の思い出の総てです。私の世代には、そういう人は結構多いのではないかと思います。

細貝

 私はちょうど近澤先生と鈴木先生の間ぐらいです。1978年生まれなので、43歳です。私は重症ですが、鈴木先生、近澤先生よりも関節の状態としてはかなり悪いと思います。幼稚園の時に右膝がかなり悪くて、松葉杖も歩行器も使った記憶があります。あまり歩けなかったですね。だから幼稚園はほとんど行けなかったし、小学校も二年生の途中からもう普通の学校には通えないということで、養護学校――今では特別支援学級でしょうかね、学校自体が病院と併設されているそういう学校に通いました。小学校二年生の三学期から中学卒業まで、ちょうど高校受験の一週間ぐらい前に退院するまで、ズッと入院して病院から学校に通っていました。
 そのため、私の場合、病院の生活が子供の時から当たり前だったので、将来の夢とかは〝普通の生活がしたい〟という一点だけで、どういう職業に就くとか、そういうレベルの話ではなかったです。そして、高校からは普通の生活に戻ったわけですが、その頃も足はあまり良くなくて、高校へは親に車で送り迎えしてもらっていましたし、友達とどこかへ遊びに行くとか、そういうことはなかったです。高校は普通の生活に戻るためにリハビリをしているんだと思って通っていたようなものだったので、逆に言うと勉強する時間は結構あって、結果、うまく新潟大学に入ることが出来たわけです。
 高校を卒業してすぐ、自動車の免許を取りました。地方なので、とにかく車がないと移動がままならないというところがあって、免許を取ってから、日常の行動範囲がかなり広がりました。大学に行くと、運動が出来ないというのがあまりウィークポイントにならないんです。高校まではもちろん体育は出来ませんし、修学旅行も行けない、遠足も行けない、何も出来なかった。そういう状況が、大学に行くとあまりコンプレックスにならなくて、結構皆と同じ事が出来る、むしろ車を持っている点で行動範囲が他の人より広いぐらいになりました。それから自分の人生がようやくまともに動き出した、そんな感覚でした。


 今は小児科医ですが、日常生活の制約というと、肘も悪いですけれども足がだいぶ悪く、右膝はもう人工関節になっていて、長距離を歩くと痛くてきついのです。大学病院はかなり広くて、毎日かなり歩くんですね。ふだんは仕事の割合として血友病にかける時間は多くなくて、小児がんの診療に当たっています。病棟の回診とかでもかなり時間がかかるので、その中では足が痛いとかは日常茶飯時ですが、特に仕事上制限していることはないです。周りがそういうところは理解しているので、休みたければ坐っていられるというところはあります。ただ、職業選択――科を選ぶという点では、足が悪いので外科系はないという制約はありましたし、そういう意味では間違いなく制限はあります。それは、自分の中でウィークポイントにはなっていないですけれども。

 

進行

 近年になって登場した抗体製剤については、どんなふうにお考えですか。

細貝

 私は小児科ですので、成人も一部診ていますが、小児の患者さんがほとんどです。抗体製剤が発売される前から定期補充療法をしていて特に問題がない方に関しては、ヘムライブラの情報を提供してはいますけれども、それによって替えたいという人がほとんどいらっしゃらないので、替えていません。一方、抗体製剤発売後に生まれて新規に血友病と診断された方――主に小さい子ですね、0歳、1歳、2歳ぐらいの子になりますけれども、そういう方たちに関しては、情報提供をすると、皆さんヘムライブラを選択されます。そこは当然といえば当然でしょうかね。やはり小さい子に対して何回も静脈注射をするということ自体、親子ともかなりストレスになります。それから、子育てをしていると良く判りますけれども、子供はよく頭をぶつけます。定期補充は多くの場合週一回から始めると思いますが、週一回ではとてもカバーしきれないぐらい頭をぶつける。関節も含めて、そういったところを広くカバーできるというのは、ヘムライブラの持つ魅力と思います。ヘムライブラ発売後に血友病と診断された方は、全員が最初からヘムライブラを選択されています。
 成人は今後どうでしょうか。希望に応じてというところはありますが、基本的には、ヘムライブラをしていても出血がゼロになるわけではないので、何かあった時にすぐ大きな出血にはならない、そのために対応が遅れてしまうという面がどうしても起こるかなと思っています。そういうところを説明した上で、スポーツをしている人には積極的には勧めていません。駄目じゃないかもしれないけれど、あまり上手くいかないかもしれないからやめておこうかと言います。それほど強いスポーツをしていないケースの場合は、希望があれば替えてもいいのかなと思っています。新潟の患者さんは、現在の治療がうまく行っていれば替えたくないという考えの方が多くて、私もそれに強く賛同しているので、積極的に替えて行ってはいないというのが現状です。

予備的補充療法、運動

進行

 定期補充療法に加えての予備的補充療法については、いかがでしょうか。

近澤

 予備的補充療法は、特に出血したくないという時――たとえば旅行に行く時とか、学会に参加する時とか、絶対にここで何かあってはならないという時には、ちょっとオーバーケア気味に予備的補充をしています。そうしておかないと不安というのもありますし、そうせずに何か起きた時には後悔するのだろうなと思うので、自分はそういうふうにしています。

進行

 外には出ないふだんの診療時はいかがですか?

近澤

 先ほど細貝先生もおっしゃっていましたけど、大学病院というのはあっちに行ったりこっちに行ったりするので、一日の歩数計を自分で見ていると、1万歩は行きませんが、8千歩から9千歩くらい歩いているんですね。まあまあ運動しているかなと自負していますが、ふだんの場合は、それでも通常の定期補充の対応で、スポーツをしない限りは変えることはありません。

鈴木

 僕自身の予備的補充は、水泳に週に二日ぐらい行っているので大体それに合わせてやっていますが、場合によっては一日くらいズレても補充せずに行っちゃうこともあります。絶対に打つようにしているのは、出張の時です。外出時の出血は一番恐いので、出張の時には絶対打つようにしています。

進行

 予備的補充に関するアドバイスはいかがですか。

近澤

 教科書的な目安としては、軽いジョギングや水泳程度の運動であれば通常の対応で良いかなと思うんですが、たとえばサッカーであれば第8因子、第9因子の活性値50%以上が望ましく、あまりないと思いますが、いわゆるコンタクトスポーツ、たとえばラグビーなどでは、70%以上なければいけません。そういう目安がありますので、やっぱり活動量に応じて追加投与をした上でスポーツに臨むほうが安全なのかな、とは考えています。

進行

 お勧めのスポーツは?

近澤

 相手とぶつかるようなことがあまりない個人で楽しめるものは推奨度が高いと思いますし、実際患者さんとお話ししていても、自転車に乗る方、鈴木先生もおっしゃっていましたけれども水泳をされている方も多いですね。とはいえ、やっぱりサッカーや野球をされる方も当然いらっしゃいますし、しっかりケアをしていれば、割と問題なくスポーツが出来ている方もいらっしゃるなという印象は持っています。

進行

 鈴木先生、水泳の良いところは何でしょうか?

鈴木

 血友病患者は足関節が悪い人が多いですが、そういう人にとっては、水泳は荷重がかからないことがポイントですね。それから、中年になってくると、大抵体重が増えてきますが、その状態でジョギングなどを行なうと、足に多大な負担がかかります。水中だと体重の負荷が免除された上に、水の抵抗で消費カロリーが大きいところが良い点だと思います。実際私も、水泳を本格的に始めたのは今年度に入ってからですが、かなり減量に成功しました。あとは深夜のビールとポテトチップスを止めました(笑)。食生活も重要ですね。

進行

 細貝先生、お子さんに〝運動をさせたいのだが〟というような相談を保護者から受けることはありますか?

細貝

 〝運動させたい〟というのは、あまりないかもしれないですね。どちらかというと、子供のほうがやりたがるという感じですね。それに対してどうか、出来るのか、そういう訊かれ方が多いかなと思います。小さい頃、保育園などでちょっと習い事とかでやるというレベルであれば、〝まあいいんじゃないかな〟という言い方をするんですが、問題は部活でしょうかね。中学生ぐらいになって部活でということになってくると、運動部でかなりしっかりやって行くのであれば、基本的には部活の前は注射するような形にしたほうがいいとは言っています。
 水泳部については微妙なところがあって、水泳でも出血しちゃう子を私見ているんですけど、その子に関してはしょうがないから水泳やる前に毎回注射してもらっています。そうすると週五とか六とか注射することになりますが、その子の場合はしょうがないというところがあります。水泳でそこまで出血しない子では、水泳前に必ず打つことまでは求めていません。バトミントンなんかでも、結構肘に負担がかかりますし、足も使うので毎回打つとか、そういう指導はしています。とにかく小児期に関節を壊さないことがものすごく大事だと私は思っていて、関節を壊さずに成人までたどり着けば、そこから大幅に悪くなるということは少ないのではないかと個人的には考えています。小児期が大事だから、大変だけど頑張って注射してもらっているという状況です。

進行

 若いうちに関節障害がなければ、予後も違ってくるということですね。

細貝

 そう思います。成人になってから激しい運動を始めることはあまりないかなと思いますし、成人までに関節の問題がなければ、筋力もだいぶついている方が多いと思います。子供の頃から関節が悪いと筋力もつかなくて、生涯関節症と付き合って行かなければならないことになりかねないと思っています。

幼少期を乗り切ろう

進行

 定期補充療法の開始は早ければ早いほうが良いのではないかと思うのですが、時期によって実際にどのぐらい違いが現われるのでしょうか。

近澤

 定期補充療法の開始は早ければ早いほうがいいという様々なデータは出てきています。ただ、血友病と一言で言っても、重症度によって、本当に重症で出血される方と、比較的症状の軽い中等症、軽症の方がいらっしゃるので、どこまで早い段階で予防を始めるのか、そしてそれに意味があるのかというのは、正直難しい面もあります。とはいえ、やはり因子活性値が低い重症の方については、なるべく早い定期補充療法の導入が勧められるのではないかと思っています。そうするとインヒビターのリスクに関しても考えておかなければいけなくて、血友病Aの場合はヘムライブラがあってカバーが出来ますが、血友病Bの場合は今のところそういう方法がないので、悩むところではあるかなと思います。

進行

 血友病と判ったお子さんへの導入の時期については、保護者に対してどのようなサポートをされていらっしゃいますか?

細貝

 家庭環境も一人一人違っていて、患者さんを病院に連れてくること自体なかなか大変というような土地もあります。保育園に行かせるのか行かせないのか、病院と家の距離が近いのか、一人一人環境が違うので、なかなか画一的にこういう事をサポートするというのは難しいところではあります。
 血友病の小さい子を持つ親御さんとしては、〝この子、将来どうなって行くのかな〟とすごく心配されるケースが多いと思います。大体の場合は〝私も血友病なんです〟ということを最初にお話しして、〝私は結構悪いケースですが、悪くてもこんな感じです。意外と大丈夫ですよ〟というところから入ることが多いです。〝あまり思い詰めないで、血友病といっても今は普通に生活している人も多いから、まあ関節の出血はもちろん何回かしてしまうかもしれないけど、ちょっと出血したから大ごとになるということではありません〟と話して安心してもらったりします。
 あとは、〝いつでも連絡して下さいね〟と伝えておくということです。大学病院には連絡のし辛さとかもあったりするかもしれませんが、いつ電話しても私なり他の血液の担当医なりにつながって相談できるようにしているとか、ふだんは地元の病院にかかっているという人には、〝何かあればこちらに電話してくれれば相談に乗りますよ〟という形で伝えているとかですね。困った時に病院に行ったほうがいいんだろうかと悩むこともあると思うので、相談しやすい体制を作って行くことに気をつけているつもりです。

鈴木

 私は、さっき細貝先生が言った〝関節症は、幼少期を乗り切れば大人になってからも大丈夫〟というのは、全く同じように感じています。ですから、定期補充療法などの出血予防治療をなるべく早く始めたいと思います。もう一つ重要なのは、生まれて早期に好発する脳出血です。これは、その人の人生を大きく左右します。脳出血を防ぐためには、生まれてすぐから出血予防治療を導入するという発想、今だと、現実的にヘムライブラの早期開始に行き着きます。批判的な方も居るかもしれませんが、私の意見としては、出生後、なるべく早期に出血予防治療を開始することが、今後、トレンドになって行くと思います。そして、脳出血予防から、シームレスに関節障害を防ぐための出血予防治療に移行するという方向に進むと思っています。

ピアドクターとしての想い

進行

 ピアドクターから若手患者へのアドバイスはいかがでしょうか?

鈴木

 生きてきた背景が異なる人へのアドバイスは難しいのですが、良い治療が出来るようになって、血友病患者の可能性は広がりました。しかし、血友病であるということは忘れないでほしいなと思います。現実から目を背けることなく、向かい合うことが大切です。血友病であることを否定して、無理をした時に問題は起こります。血友病であることは、自分の心の支えになったりすることもあります。必ずしもそれをネガティブな物として捉えるのではなく、実際にこういう場で色んな交流が出来たりつながりが出来て、人間関係の広がりを持てたりということもあります。ですから、血友病であることを忘れないでいてほしいな、と思っています。

進行

 医療者として情報提供はしているのに、患者の側が理解してくれないという経験はあるでしょうか。

鈴木

 それは日常茶飯事です。一回言って判るという人のほうが逆に少ないと思います。医学的な話は普通の人にとっては、とっつきにくい話もあります。ですから、一回話して〝この人は判ってくれなかったから駄目だ〟というのではなく、繰り返し伝わるまで、何度も説明して、辛抱強くやって行くのが大切だと思っています。

進行

 初めてお子さんが血友病と判った保護者ですと、冷静に受け止められる方もあれば、感情的になってしまう方もあるかと思いますが、どのように対応されますか。

細貝

 先ほども述べましたが、基本的にはその子が〝今後普通の生活を出来るだろうか、この子はどうなってしまうんだろうか〟という不安を最初に抱えているので、そこに関しては、先ほど言ったように私の経験を話します。一回説明しただけで〝あー、そうなんだ〟という理解にはなかなか到達しなくて、ライフステージに応じて不安事《ごと》も色々変わってきますし、一回で全部しゃべって全部理解できるということでは決してありません。繰り返し繰り返し大事な事はお話しして、という感じにはしていますが、なるべく雑談を増やして、日常でどういう事に困っているのかを汲み取るように努力はしています。どうでもいい話から有用な情報が引き出せることもあるので、診察ではちょっと時間を長めに取って、うまく情報を引き出して不安を解消して行けるように出来ればいいな、とは感じています。

近澤

 鈴木先生もおっしゃっていましたが、患者さん御自身が何か困っている事があるのかどうかがやはり大事です。医学的に見ると明らかに毎月毎月出血している人でも、たとえば、それが御自身にとっての自然だというふうに認識している場合もあります。そうなると、日常生活を改善してくれるような新しい薬が出てきても、御自身は必要としていないという話になりがちです。そういう方だと、短い時間で色々解決に持って行くのが正直に言って難しいという経験は良くします。
 細貝先生もおっしゃっていたように、とにかく時間が必要で、長い時間をかけて対話をして行くことが大事だと感じています。東京医大ではこの四月から、これまで出来ていなかった包括外来を新たに立ち上げ、一日かけて関節の評価をしながら、実際に患者さんと対話をしながら問題点を抽出して行く試みを始めています。通常の外来ではなかなか時間が取れませんが、たとえば30分ほどお話しするだけでも、ふだんの診療では見られない患者さんの背景ですとか、困っていないようで実際には困っているような事を新たに共有できたりします。逆に、実はキックボクシングをやっていると聞かされて、意外と血友病でもここまで大丈夫なんだな、とこちら側に新たな発見があったりもします(笑)。時間をかけることの大切さを改めて感じているところであり、これからもドンドンとやって行きたいなと思っています。

進行

 スタッフの中から、〝ピアドクターの皆さんは、自分の血友病についてどのように感じていたのでしょうか。「どうして自分が?」と考えたことはありましたか?〟という質問が出ていますが、いかがでしょうか。

細貝

 もちろんありました。私くらいの世代ではおそらく皆さんあると思います。学校関係とかでコンプレックスを抱く場面が必ずある世代ですので、何度も思いました。ありがちですけど、〝なんでこんな病気に産んだんだ〟とか。ただ、子供の頃は色々コンプレックスを抱く場面が多いと思いますが、大人になるとそうとも言い切れません。仕事によっては、血友病であることがあまりコンプレックスにならないケースもあります。私も医者になって、血友病がコンプレックスにならなくなりました。むしろプラスに働く場合も多くて、人生何が起こるか判らないということなんですが、そういう事を患者さんに話すこともあります。
 たとえば足が出血してしまって運動会に出られなかった、すごく残念だ、それは良く判りますが、それは人生全体のごく一部に過ぎません。その時はどうして自分は血友病なんだって思うかもしれないですが、将来――10年後20年後になったら、〝まあそんな事もありましたね、アハハ〟と笑い飛ばせる時期が必ず来るから、〝今だけじゃなくて人生全体を考えられるようになるといいよ〟という話を患者さんにしたりしています。

近澤

 私は、小学校低学年の頃に薬害エイズの報道がテレビで盛んに報じられていたことを記憶しています。当時、鼻血が良く出ており、クラスで悪目立ちしていたと思います。そうすると血友病を理由に心無い言葉をかけられたりしたような経験もありまして、傷ついたりしたこともありました。とはいえ、子供って、悪気がなくそういう事、色々相手が傷つくような事を言ったりするところもありますよね。そういった経験から、誤解を与えることなく人に物事を説明できて、更には困っている人を助けてあげられるような大人になろうというマインドが育ったかな、という自負があります。多少辛い経験もプラスにして行けたのではないかという面に関しては、自分は血友病でも良かったのかなというふうに思うところが正直あります。

鈴木

 私も子供の頃は母親に〝どうして産んだんだ〟と何度も当たり、そして親子で何度も泣きました。薬害問題も重なり、本当に絶望しかありませんでした。それを母と共に、ひたすら耐えに耐えた幼少期から少年期です。その後、血友病を生涯の「敵」として戦って行こうと決めて、医者を目指しました。そう決心してからは、前向きになれました。共に戦ってくれた母親は亡くなりましたが、いつか血友病が治る病気になって、母親に報告することが、私の人生目標です。

進行 

 血友病は「敵」ですか?

鈴木

 私たち親子にとっては「敵」です。生涯の「敵」として戦います。ただ、血友病が治る病気になっても、私自身は母から受け継いだ血友病と共に生きて行きたいと思っています。血友病を治る病気にして、血友病と共に人生を終えたいのです。

 

【おわり】