【追悼】ヘモフィリア友の会全国ネットワーク初代理事長・佐野竜介さんのこと。
佐野竜介さん
(ヘモフィリア友の会全国ネットワーク 初代理事長、
元・京都ヘモフィリア友の会、滋賀ヘモフィリア友の会会長)
【2021年6月29日付の記事を本欄にも掲載しました】
昨2020年9月15日、私たちの活動にとって大切な仲間の一人であった佐野竜介さんが他界されました。54歳でした。〝誰にも知らせなくていい〟との御本人の遺志があったとのことで、私たちも一ヵ月が過ぎる頃にようやく伝え聞き、大きな衝撃を受けました。御家族の意向にも基づき、本ネットワークとしてもこれまで公表していませんでしたが、改めて、追悼の意を籠め、謹んでここにお伝えします。
佐野氏を紹介した『ECHO』(バイエル薬品発行)2012年7月号には、その簡単なプロフィールが以下のように記されています。
1965年、新潟県生まれ。京都の大学に進学した後、30歳を過ぎてから患者会に参加。
2006年に、京都・滋賀ヘモフィリア友の会の会長に就任。
2008年からヘモフィリア友の会全国ネットワーク代表世話人も務め、現在に至る。
佐野氏自らは血友病者ではなく、類縁疾患である先天性無フィブリノゲン血症の患者でした(同症は男女ともに見られる潜性遺伝【劣性遺伝】による止血異常症であり、患者数は血友病よりも遥かに少なく、我が国の2020年度血液凝固異常症全国調査では、先天性フィブリノゲン欠乏・低下/異常症は男女合わせて97名と報告されています。治療にはフィブリノゲン製剤が用いられてきました)。しかし、上記の通り、30歳を過ぎてから血友病患者会に加わり、自分自身は血友病者でないことに迷いや躊躇を感じながらも、責任感と義務感とに駆られながら、積極的に活動に関わって行ったようです。
2004年からは、毎春、日本血栓止血学会学術標準化委員会血友病部会の主催による「患者と医療者との血友病診療連携についての懇談会」が開催されはじめ、佐野氏をはじめ、各地の血友病患者会(友の会)の代表者が一堂に会する機会となりました。毎年の話し合いが繰り返される中で、参加者の間には、いわゆる「薬害エイズ」事件により血友病患者会活動が1980年代から90年代にかけて被った甚大なダメージを乗り越え、全国組織を再建しようという気運が少しずつ盛り上がってきました。
そして、2007年には、各地区会の代表者が連なったメーリングリストを活用する形でネットワーク準備会が発足し、佐野氏、同じく京都ヘモフィリア友の会の北村健太郎氏(元・全国ネットワーク理事)、三重ヘモフィリア友の会の松本剛史氏(現・全国ネットワーク理事長)の三人が世話人となりました。
この年の暮れから翌2008年の初めにかけては、いわゆる薬害肝炎被害の救済を掲げた「C型肝炎特措法」の国会審議が一気に加速しましたが、私たちは、被害者全員救済の美名とは裏腹に先天性止血異常症患者の肝炎感染被害が置き去りにされていることの不備を指摘し、ネットワーク準備会が中心となり、地区会などの連名による「意見書」を国会に提出しました。この際、佐野氏は、衆参両院の厚生労働委員会で堂々たる意見陳述を行ない、マスメディアにも大きく報じられました。無フィブリノゲン血症患者であった佐野氏にとって、フィブリノゲン製剤が原因となった薬害肝炎、そして、その救済の過程で無視された先天性患者の存在は、極めて切実な問題であっただろうと想像されます。
(2008年1月8日 衆院厚生労働委員会)
当時の経緯は、血友病の研究者でもある北村氏(前出)のホームページにも詳しく述べられています。
「C型肝炎特別措置法に引き裂かれる人たち」
http://www.arsvi.com/2000/0810kk03.htm
この出来事により、思わぬ形でネットワークの実効性が示されることとなり、全国組織への想いはいよいよ高まって、同年3月、正式に「ヘモフィリア友の会全国ネットワーク」が発足し、佐野氏が代表世話人に就任。その後、2012年には一般社団法人となったことから、佐野氏は初代理事長の重責を担うこととなりました。
以来、2010年から隔年に全国フォーラムを開催、2016年には日本を代表するNMOとしてWFH(世界血友病連盟)に復帰するなどの一面華やかな表の役割から、行政、企業、医療者など様々な相手との面談、交渉、あるいは厳しい財政面の会計管理など、地道で苦労の多い仕事までこなしていました。2017年8月に理事長職を現職の松本氏に交代して以降も、事務担当理事として日常業務を引き続き担っていましたが、その一方、次第に体調が悪化したため、2020年3月をもって理事を退任。静養に努めることとなったものの、病に打ち勝つことは出来ませんでした。
佐野氏は、全国ネットワークの代表世話人に就任した頃、正規労働者として定職に就いていたのですが、その後、退職してネットワークの活動に専念することになりました。当時、会議の席上で佐野氏は、〝自分の肝臓は、あと十年と思っている。それならば、その十年は患者会の活動に使いたいのです〟というふうに語っていました。その言葉は、概ね現実のものとなったと感じます。
現在の全国ネットワークは、設立当初に較べれば、幾らか体力も増しているかもしれません。それは、佐野氏が身命を削ったことの結果でもあります。血友病患者会活動に文字通り身を挺した先達の一人として、佐野竜介の名前を血友病の歴史、そして私たちの記憶に刻み込みたいと思います。